星を継ぐ者へ

 「星を継ぐもの」とはJ. P. ホーガン氏が1977年に発表したSF小説の邦題である。この作品では人類の進化や月や小惑星など自然科学の世界に未だ残された謎をSF的な解釈で解き明かしながらストーリーが進んでいく。サスペンス的な要素を取り入れた展開は当時斬新な気がしたものである。SFの古典的名作なので興味のある人は読んでみてほしい。あまり字を読みたくない人には星野之宣氏による良くできたコミック版もある。
 さて、拙文のタイトルはSFの名作から頂いたものだけれど、内容に直接の関連はない。ただ、皆さんは科学とか文明とかそういった人類の遺産をこの星とともに受け継いでいく新しい世代である、といういささか大袈裟で中二病的な、しかし忘れてはいけない事実を改めて自覚してほしいと考えた結果がこのタイトルである。星を継ぐ者たる皆さんにどうしても伝えておきたいことを整理してみたと思ってほしい。タイトルの説明が済んだのでゆるゆると本題に入ろう。

けんか別れの原始人

 またまたコミックの話で恐縮なのだけれど松本零士氏の銀河鉄道999(スリーナイン)という作品に「けんか別れ」という惑星が出てくる。この星でははるか昔に科学技術の発展が頂点を極め、これまで通り科学技術を進歩させていこうとする人々と科学技術を捨てて自然に回帰しようとする人々の対立が行きつくところまで行ってしまった。その結果、この惑星は科学派の領土と自然派の領土に切り離されたうえ、科学派はお得意の科学力でもって宇宙のどこかへ飛んで行ってしまう。物語に出てくるけんか別れは残された自然回帰派の領土で、科学技術をすっかり失って原始人のように暮らすかつての文明人が登場する。
 このけんか別れで最大の娯楽は拷問と処刑である。「けんか別れ」人たちは気まぐれに犠牲者を選んでは暇つぶしにいじめ殺すのである。この作品をはじめて読んだのは私が小学生か中学生かという頃だったけれど、いやいやそれはないでしょうと思っていた。いくら「けんか別れ」人が暇を持て余しているとはいえ、いくら「けんか別れ」人の知能がお粗末だとしてもちょっと考えればこれはやばい状況だと気づくだろう。なにしろ少し風向きが変われば次の犠牲者は自分なのだ。考える頭のある生き物が同族を気まぐれに殺すことを娯楽にするなんて。
 しかし残念なことに、この21世紀になって私などのとるに足らない考えより作家の想像力の方がはるかに現実に近いことを思い知ってしまった。どうやら人間の本性はいじめが大好きであるらしい。現代はほんの些細な理由で人が人を非難しいじめ倒す魔女狩りの時代になってしまった。ほんの少し考えてみれば責めている側と責められている側に大差はないことが分かるはずだ。ちょっとした悪ふざけや誰でも犯しかねない過失、20世紀であれば「今度からは気を付けろよ」くらいで済んでいた話で天下の大罪人のように蛇蝎のように情け容赦なく他人を攻撃する人をよく目にするようになった。時代の流れという言葉だけでは済まない、何か社会の根幹を揺るがすような変化が起こっている。そう考えるようになった。一体我々の21世紀に何が起こったのだろうか。

印刷術の発明と魔女狩りの激化

 15世紀から18世紀にかけて中世ヨーロッパは人々の狂気が暴走した暗黒の時代であった。魔女狩りの時代である。昔のことで確実な統計はないけれど数万、一説には数百万もの人々が男女問わず魔女と決めつけられ人間が考えうるありとあらゆる残虐な方法で拷問・処刑された。なぜ人々の狂気がこれほどまでに暴走したのか。疫病や飢饉や異民族の侵略から来る社会不安が原因ともいわれるが、そうした大衆をなだめて善導すべき知識階級の人々もまた魔女狩りに加担したと言われる。
 実際、魔女狩りの流行に拍車をかけたとされるのが「魔女に与える鉄槌」という書物である。この本自体は独創的なものというより魔女についてそれまでに考えられていた多くの事柄をまとめた百科全書的なものであったらしい。当時最新の印刷術によってこの書物は版に版を重ね魔女狩りと魔女裁判の手引きとなっていった。情報伝達の新しい手段が優れた英知ではなく、忌まわしい妄想を拡散しヨーロッパ全土に狂気を蔓延させたのである。

放し飼いの情報は取り扱い注意

 印刷術の発明が中世ヨーロッパの魔女狩りを加速させたこととインターネットの登場が新たな魔女狩り社会を生み出しつつあることは無縁ではない。情報というものがそれを適切に処理する能力もまたその意欲も持たない人々に無制限にまき散らされることの意味を我々はもっと知るべきだった。
 大量に流通する情報の中にはごみも宝も毒も混ざっている。それを選別してデマをデマと見抜き、誤りは誤りと指摘し、不確定なこと、ある程度確定的なこと、確定的なことについてはその意味するところを適切に解釈する、それが出来るためには相応の訓練や労力が本来必要なのだ。そこを端折ってデマも何もひっくるめて自分に分かる部分、自分の好みに合う部分だけを吸収していけば妄想だけが肥大した一種の化け物になってしまう。無制限の情報を放し飼いすることは本来とても危険なことだった。ネット上では事あるごとに「反日」「反日」と言い立てる「反日」星人や何でも「陰謀」のせいにする「陰謀」星人がじわじわ仲間を増やしている。ひとつの妄想はネットに流れてさらなる妄想人間を育て、このような妄想お化けはもう無視できない勢力になりつつある。

そして知性は敗北する

 妄想の世界だけで自己完結してしまった人は自分の気に入らない話は決して受け入れない。すべて「反日」勢力の「陰謀」ということにして「論破」出来てしまうからだ。しかし、それは単なる思考停止やコミュニケーションの拒絶であって健全な議論や知性の働きによる正しい結論ではない。それは知性の敗北であり文明の否定である。
 本当に多くを学んだ人はこの世界にまだまだよく分からないことが多いと知っている。だから決めつけないし、ある意味謙虚でもある。自分と考えの違う人間がいるのは当然だ。あんまり変な奴は困るけど実害がなければ放っておけばいいと考える。だから寛容だ。人を許すことを知っている。どうでもいいような些細なことでいちいち責め立てたりはしない。そんなことよりもっと興味深い楽しいことが山ほどあるのに。どうしてつまらない裁判官の真似事などに血道を挙げなくてはいけないのだろう。
 自分と少しでも意見の違う存在を許せず、どうでもいいような微罪でさえ激しくとがめたてる。この10年位でどんどん目につくようになってきた傾向である。これは人類全体の知性の衰退ではないのか。同族をリンチにかけることしか楽しみがないのだろうか。「けんか別れ」の原始人とは我々自身の未来図なのか。

先人が血と肉と生命を削って獲得した遺産がドブに捨てられる

 このような知性の劣化はかなり危険水域に達している。先人が自らの血と肉と生命を代償として獲得してきた様々な遺産、例えば人権や立憲主義や反戦思想といったものがいとも易々と破られ放棄されようとしている。なぜ、先人がそれほどまでにこれらのものを重視したのか一切顧みることもなしに。
 機会があれば人権や立憲主義がどうして大切なのか説明すべきかもしれない。これ以上長くなるとお互い大変なので今回は遠慮しておこう。ただ人権なんか犯罪者を守るためのものだ、要らない、みたいな極論を鵜呑みにしている人がいたとしたらきちんと考え直してほしい。あなたも人権によって守られているのだから。現代が新たな魔女狩りの時代になりつつあるとは言ったけれど中世ヨーロッパのように胸の悪くなるような拷問や残虐刑がないのも、あなたが魔女と決めつけられて反論も許されずに火あぶりにならないのも人権があるからなのだ。

考えること学ぶことを大切に

 いろいろ書いたけれど事態を好転させる方法はひとつだけである。一人一人が他人任せにせずよく考えること。考えるための材料が足らないと思ったら学ぶこと。とにかくこれに尽きる。人間は一人一人立場も境遇も違う。本当の意味であなたのために考えて結論を出してくれる人はあなたしかいない。それなのにどうして考えることを他人にゆだねてしまうのか。既製品の正解で間に合わせようとするのか。そのことにもっと危機感を持ってほしい。
 皆さんより先に星の土に還る者が星を継ぐ者に望むことは以上。考えることはとても大切で、楽しいことでもあると知ってほしい。

著作/ 葉無尾鰭(はなしのおひれ)
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